*公式サイト(アートインスティテュート北九州 A.I.K)
http://a-i-k.jp/
英語表記も「IMIN」で押し通す大胆さ。
日本語の「移民」が意味するところはそのまま、英語にはならないから、だとか。
10/4(日)19時から、ルネット(九大USI大橋サテライト)という建物でおこなわれた、「北九州国際ビエンナーレ 福岡説明会」に行ってきた。
そもそも「ビエンナーレ」というわりには、参加作家は数組だし、会期も1ヶ月やっと、だし、どうなってんの、という声が多い。
その前提として、「ビエンナーレ」(あるいはトリエンナーレ)という言葉は いつのまにか「まちを舞台にした」「最先端アートを楽しめる」「観光にもってこいの」アートフェスティバルとなってしまった、という認識がある。
この考えに基づくと、さて、このキタキュービエンナーレは「ビエンナーレといえるのだろうか?」
以下、主に、宮川敬一さん(ディレクターであり、参加作家でもある)の言葉を元に。
※発言の通りに書いているわけではありません
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前回2007年に1回目を開催した。
90年代以降、アジアの各地で急速に増えたビエンナーレへの違和感
疲れる。まるで見本市。
だから、初回は「一種のパロディ」と言い張った
1回で止めるつもりだった
でも2回やんないと「ビエンナーレ」にならんから、今回することになった
「移民」のテーマは1回目のときから、念頭にあった
リサーチ型の作家が多くなっていて
共通のテーマとして浮かび上がっていた
このテーマのもとに今回は「新作」が並ぶ。
リサーチ型の作品と、ドキュメンタリーとの違い。
違わなくてもいいかと思うけど
見せ方が違うかもしれない
(ドキュメンタリー映画の場合は、モニタでもプロジェクションでも原則は構わないはず)
ヒューマニスティックな結論に持ってゆきがちかどうか、という違いもある?
映像の展示ばかりかと言われる。
映像ばっかりでもかまわないじゃないかと思う。
絵画ばっかりでもかまわないのと同じ。
そういう表現手法が問題なのではない。
どうしても土地の歴史を考えてしまう。
北九州は日本の近代化を担ってきた土地。
門司港は開港120周年(横浜、函館、長崎より30年遅れ)
1899年から1909年までの10年のあいだに人口は3000人から10倍にふくれあがる。
闇の歴史
戦前、戦後。
アジアからの流入
ブラジル移民、国策
からゆきさん
満州
マスメディアは戦前も戦後も変わっていないのではないか。
むしろ、日本側を植民地化するプロパガンダがあったのでは。
それが自分の作品のテーマになる。
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宮川さんの発言を元にしたメモは以上。
ビエンナーレは、展示、上映、シンポジウム(トーク)で構成される。
おそらく「福岡市」では極めて実現しにくいタイプの、「北九州」という土地であることで、リアリティをもつこのプロジェクト。
硬派な構成だが「まちをテーマにした」という点では、しっかりと「ビエンナーレ」といえるつくりになりそうだ。
もちろん、北九州以外の、ヨーロッパやアジアのいろんな都市でリサーチされた作品が登場する。
それは現代の世界各地の状況をあぶりだす。
手をペンキまみれにして現れた宮川さん。
前回以上に、人手もお金も足りていない。
それでも実施するのはなぜだろう。
作家がディレクターというのも 通常なら変な話だ。
でも実は、何かを作るというスタートは これなのではないか。
ものすごくツッケンドンなビエンナーレだが、やはりここから始まる何かがある。
ぜひ、これは目撃しにゆかねば。
※会場は門司と小倉の二カ所。火水木が休みなので注意。
(miyamoto)
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